「白木屋中村伝兵衛商店」さんといえば、天保元年(1830年)銀座で創業以来七代にわたり、まったく変わらない手法で作り続けられる江戸箒の老舗です。今ではすっかりオフィス街となった現在地の京橋に移ってこられたのは幕末頃です。当時は、京橋川の川岸に竹屋が多く立ち並び、水運を利用して千葉からのほうき草が仕入れやすかったため、箒の生産場所としては最良の地だったのだそうです。
そして、一時期は電気掃除機の普及の影で、忘れ去られそうになっていた江戸箒ですが、健康や環境についての意識の高まりと共に、いつのまにか再び大きな注目を浴びるようになっていたのです。機能的で、かたちが美しく、すこぶる長持ちすると評判を呼び、今では職人さんがフル稼動しても仕事が追いつかない状況だというのです。
そんな白木屋中村伝兵衛商店さんに、洋式の箒を作っていただきたいとお願いするなんて、ほんとはとても失礼なことのような気がしていました。なんといっても和箒を175年間作り続けていらっしゃるわけですから、「洋式」だなんて言葉をもっていくだけで、叱られるのではないかとも思いました。それでも、自分たちが暮らす小さな洋式の家にも似合う機能的な和箒が、どうしても欲しかったのです。 
勇気を振り絞って事情を説明しましたら、「箒は芸術品じゃなくて日用品ですから、現代の様式に合うものをお作りすることが 箒本来の価値をきちんと伝えることにもなるでしょうから。」とこころよく引き受けて下さったのです。
まず、畳やフローリング用にほうき草を使ったものと、土間やベランダ用に棕櫚(しゅろ)を使ったものの2種類の長柄箒を作りました。それから、窓の桟やオーディオ類の前面パネルのほこり取り用に棕櫚の小箒も作りました。木の柄は、シェーカー教徒の写真集で見た工具の柄部分のかたちを参考にしました。実は、日本では古くからある平たい「面」で掃ける箒のかたちを、アメリカで最初に発明したのは、シェーカーの人たちだったのだそうです。それまでは、ほうき草を丸く束ねただけの、ちょうど庭を掃く竹箒のようなかたちのほうきだったので、部屋のかどのほこりを掃き出すには都合が悪かったのです。どこにほこりが残ることも許さない、清潔好きの彼ららしい発明のひとつだと思います。シェーカーの人たちは、身の回りのほんとうにささやかなものにも心を注ぎ、美しいものをたくさん残しました。そんな彼らが使う工具のかたちの美しさには、ずっと憧れがありました。
柄の白い部分は、できるだけ軽い材にしたかったので南洋材を、こげ茶の先端は、握り心地が良いようにウォールナット材を使いました。
     
洋式住宅向けの和箒
白木屋中村伝兵衛商店さんと作る
 
    棕櫚小ほうき
シュロの芽の柔らかくてコシのある部分を使った草で、パウダーのような細かいほこりがとれます。格子窓の桟やオーディオ機器のパネルなどに最適。ただし、シュロはしばらくの間、粉が出ますからパソコンキーボードなどには不向きです。